資本主義の傷跡
それは、IABPの誇る高性能コンピュータP(しつこいので略)が故障した
ため修理に出し(詳しくは やきたての天ぷら
参照)、それを請け出しにいく途中で発見した物だった。
以前に書いたように、那覇開南通りは大変渋滞の起きやすい所である。それは
、「やきたての天ぷら屋」のある通り(市場通り?)でも、その脇にある開南本
通りでも、同じ事である。ただ、開南本通りは「本通り」のくせして道が狭い。だから同じ渋滞でも、本
通りの方が余計に渋滞ストレスがたまりやすい。ストレスを少しでも緩和するた
めに、私は車窓の景色を楽しむことにした。しかし、楽しむとは言っても、見えるのはごくありふれた店舗風の建物とか、
どうやら散歩してるらしいおじーとか、そんなものばかりである。私はおじーを
観察する趣味はないので、一眠りしようと顔の向きを変えたとき、その文字は私
の目に飛び込んできた。
位牌、激安
はあ、セールやってんのか・・・。位牌をねえ・・・・位牌って、なんだっけ
?
私の家には位牌やら仏壇やらという先祖崇拝目的の偶物は存在しなかったので
、位牌に関する正確な知識は持ち合わせていなかった。しかし、何となく宗教的
な物であることは解っていたので、この「位牌激安」という言葉には多少の違和
感を覚えた。そこで、確認の意味を込めて、隣で運転手をしているS氏に訊いて
みた。
「位牌って、安売りする物か?」
「バカか位牌なんか安売りしたら罰が当たるぞ」
やはりそれが、日本の常識らしい。すると、この店はおかしな事をしているの
か、それとも沖縄全体がこういう雰囲気なのだろうか。そこでこの件を、「やく
」という言葉の意味とともに、自称「首里の原住民」G氏に訊ねてみることにし
た。
この件に関しては、G氏は「沖縄では位牌をたてるのは閏年しか許されなくて
・・・・」という具合に、沖縄における位牌の扱いについて講義してくれた。細
かい単語までは覚えていないが、要するに沖縄では数年に一度しか位牌が売れな
いらしい。そうなれば彼らも商売人である以上、当然成り立つのは市場の原理。
激安商戦で何とか売りさばかなければ生活できない、という事らしいと解釈した
。
しかし、S氏はそれでも「位牌を安売りするなんて」といつもの如くぶつぶつ
言い、G氏は「どっちにしたって閏年しか位牌は売れんのになあ」と首を傾げて
いた。それでも結局、この「位牌激安」という表現そのものは気に入ってしまっ
たようだった。
後に確認したところ、この「位牌激安店」では陶器も売っているようだった。
G氏が言う、「閏年だけ位牌とか仏壇売って、それ以外の年は雑貨屋やってる」
という形態と同類のようである。無理に位牌を安売りしなくても、店はやってい
ける風な感じだった。それなのに、何故わざわざ紙を張り出してまで安売りする
のだろうか。
これも時代の流れであろうか。そもそも沖縄というところ、中途半端な資本主
義を導入して構造不況にあえいでいるどこぞの国(の大部分)とは違って、バリ
バリの資本主義の本場アメリカの支配を受けていた所である。ひ弱な日本人とは
違って、多少のドライ商法などとっくに免疫ができているのであろう。そう判断
した私は、開南の地を後にした。
ちなみに、その激安店では何も購入していない。そもそも、位牌以外「激安」 とは一言もかかれていなかった。
場所:那覇市開南
交通:那覇BTから開南経由のバス、開南下車。開南交差点を右折。
※誤解を生じると困るのであえて書いておくが、私は「位牌激安」のような 表現を非難しているわけではない。むしろ、このような表現がどこから飛び出し てくるか解らない、自由闊達で融通のきく沖縄文化が大好きである。